焼鳥 侍

焼き鳥侍 営業情報ブログ

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記事一覧(36)

「ローグ・ワン スターウォーズストーリー」

ここ数年すっかり恒例となった我が家の元旦映画観賞、4DXで観ました。僕はスターウォーズの熱狂的な信者というわけではありませんが、上映されたすべてのシリーズは一応観てきました。スペースオペラと言うのでしょうか、惑星間を自由に移動し、さまざまな種類の異星人、動物、ロボット、乗り物が画面いっぱいに躍動、闊歩する世界観がすばらしいです。ジョージルーカスのルーカスたる由縁でもありますよね。1977年。はじめに上映された「スターウォーズ」(シリーズの時系列ではエピソード4)は、これぞ映画だ、というエンターテーメーント性はずば抜けていました。世間的な人気も爆発的なものがありました。少年の僕もワクワクと胸躍らせ、親に映画館に連れて行ってもらい、おもちゃの、かなり立派なライトセイバーを買ってもらったものでした。それから「帝国の逆襲」「ジェダイの復讐」とすこし大きくなって、(中・高校性だったかな)観ましたが、思春期で見方がしゃくれてきたのか、エンターテーメーント映画として、それなりに楽しめましたが、ストーリー内容的にはそれほど評価できなかったのを覚えています。特にダースベーダーがルークのお父さんだと、レイア姫が姉だと分かった時は、古臭い韓国ドラマのようなオチだとガッカリしたものでした。2000年代前半に上映された、エピソード1,2,3は妻と結婚前のデートで観まして、ディズニーランドのアトラクションのような感覚的な楽しさはありましたけど、内容についてはほとんど覚えていません。やはり伏線説明的な感が強く内容的にはあまり好きじゃなかったのだと思います。他にもSF映画は好きでいろいろ見てきました。「エイリアン」「アポロ13」「2001年宇宙の旅」などに代表されるような宇宙船内でのクライシス物、後は地球上での未来の話、火星探査の話などは多くありましたが、惑星間をまたにかけた壮大なスペースオペラ的話となると、「スターウォーズ」か「スタートレック」ぐらいしか思いつきません。「スターウォーズ」と「スタートレック」で比較するなら、映像的な美しさ、ディテール面の細かさ、ではスターウォーズの圧勝。人間ドラマの深さではスタートレックに軍配。それは、それぞれの映画とTVドラマという互いの土壌を象徴していると思います。最初の「スターウォーズ」上映から40年。今だ類似作がほとんどないという、SF映画業界を寂しく思う反面、それだけ、近年、僕の中で「スターウォーズシリーズ」が特別な存在となって輝きを増してきています。昨年、元旦に見た「スターウォーズ フォースの覚醒」は久々映像やディテールだけでなく内容も面白くスターウォーズシリーズ中で2番目に面白く感じました。1位はやはり、一番最初の「スターウォーズ」(エピソード4)です。───ローグワンについてですが。最初のスターウォーズ(エピソード4)の直前の話です。エピソード4は帝国のデススターの弱点を攻撃して終わりますが、デススターの弱点の設計図を手に入れるために尽力した戦士たちの話です。率直な印象は「七人の侍型」。脚本家になる勉強を多少した事のある人なら、その入門で教わる、教科書のような王道的ストーリー形体です。素直に見れば面白いのですが、僕はあまりに定型的なのがちょっと引っかかって古さを感じてしまいました。(あくまでストーリー構成がという意味です)また、エピソード4の伏線説明的な内容が強く、熱狂的なスターウォーズファンには、「なるほど、あれはそういうことか」と合点がいき楽しめるのでしょう。しかし、僕はむしろエピソード4についてはあれで完成していて、説明はいらないと、前々から思っていましたので・・・・。映像の美しさやディテールの細かさはさすがで、やはり4DXや3Dで理屈なく感覚的に楽しむ作品だとおもいます。ただ、ルーカス色が若干弱くなってるように感じたのは私だけでしょうか。ジン役のフェリシティー・ジョーンズかわいくて、たくましくて、魅力的でした。これから注目の女優さんリストに入れます。チアルート役ドニー・イェン。よかったです。けっこう有名な役者さんなんですね。知りませんでした。K-2SO、巨神兵みたいで泣けました。

「ポンダンポンダン王様の恋」韓国ドラマ

いやあ、キュンキュンものですな。おじさんには眩しすぎて、「おおおお!!」と思わず目を塞いじゃいましたよ。ツッコミどころも満載でしたね。「え!!サッカーコート!?しょうめいつき?!」パソコンでイヤホンして見てたんですけど、一人でブツブツ、キャーキャー言ってたんでしょう。ふと気付くと、妻が痛々しい目で一瞥してましたよ。さておき──一言でいえばタイムスリップ、恋愛青春ものです。2話完結の日本で言えば2時間スペシャルドラマといったところでしょうか。潔いキュンキュンラブストーリーに青春の王道的テーマをのせて、短い時間で爽やかに描いているところが好評価につながっているのだと思いました。「自分の居場所とは───」「生きる意味とは───」なんて事を、今まさに思い悩む若い人には、一つの道しるべとなるでしょう。かつて、そんな事もあったかなー、という大人には、ありし日の思い出がキラキラとよみがえるのではないでしょうか。いや、若いか、大人かなんて関係ないですね。僕自身は実はこの手の事、昔からほとんど悩んだ事ないたちでして人はなんのために生まれてくるのか=何のためもくそもない。父と母が×××したから。生きる意味とは=そんなものない。死にたくないし、生まれたからには死ぬまで一生懸命生きるだけ。と、中・高生の頃からずっと思っていたので。こういう事、一般的な人は、思い悩み生きてるんだろうなとは分かるんですが、自分自身で切実に思った事はなくて・・・感動、共感とはいきませんでした。ただ、余計な事を潔く切り捨てて、シンプルに見た人を楽しませようという、スタッフ、キャストの熱い想いが伝わってきました。きっとそこが、単に主人公二人のキュンキュンな演技だけでなく作品全体としてキラキラと眩しく見えたんでしょう。しかし、筋金入りの歴史物ファンはお怒りになるかもしれませんね、これ。僕は微笑ましくツッコミながら見れましたけど・・。

「パーフェクトワールド」

ケビンコスナー/クリントイーストウッド刑務所を脱獄したブッチ(コスナー)とその相棒はフィリップという8歳の少年を人質にとって逃避行を続ける。しかしフィリップに危害を加えようとした相棒を射殺。脱獄し、少年を誘拐し、そのうえ殺人を犯し凶悪犯となったブッチ。それを追う刑事レッド(クリント)はブッチが10代の頃、パンを盗んだだけで少年刑務所に送った人物。劣悪な家庭環境から救ったつもりだったが、結局は刑務所で悪い仲間とつるんで犯罪を繰り返すようになった。レッドと共に捜査に同行する犯罪心理学者サリーは、非科学的な現場たたき上げ主義的なレッドに反発するが、そのガサツな言葉とは裏腹にレッドがブッチを追い込んだのは自分だと強い悔恨の念に駆りたてられていると知り、少づつ理解し始めていく。一方。二人きりになったブッチとフィリップの間には奇妙な友情がめばえはじめていた。この話。ケビンコスナーとクリントイーストウッドの共演ということで、逃げる犯罪者コスナーと追う刑事イーストウッドの心理戦、駆け引きが中心になるのかと思いきや、それは最小限にとどめ、ブッチ(ケビン)と少年の絆を中心に絞って描いているところがいいんです。決して悪い人間ではないと思われるブッチが、冒頭から罪を重ね、もはやハッピーエンドはないだろうなという刹那的な雰囲気が終始漂います。ブッチとフィリップの絆が深まるにつれ、切なさはつのっていきます。結局これは、行き場のない男の家族への愛を描いているのだとおもいました。ラストシーンは深く胸にささりました。

「パパが遺した物語」

「パパが遺した物語」  ラッセル・クロウ/アマンダ・サイフリッドラッセルクロウがパパ役のヒューマンドラマってあまり観たことが無く、(もし他に知ってたら紹介してほしいですが)僕はマッチョ俳優のパパ役ものって結構好きで、トラボルタとスカーレットヨハンソンのやつとか、ジェラルドバトラーのやつとか、etc・・・。そんなイメージに期待を膨らませて見ました。ストーリーはタイトルどうり、予想通り。そもそも先を予想してどうこうというタイプの話ではないのでネタばれ気にせずさらっと書きますと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・交通事故で母親は亡くし、ジェイク(クロウ)が男手一人で小さい娘ケイティを育てる。まずは小さいケイティがイイ子で可愛いいんです。ありし日のダコダ・ファニングちゃんを思い出しました。この作品ではカイリー・ロジャースちゃん。そんな二人の親子の素敵な関係がひとしお描かれ「アイアムサム」さながらの感動作の臭いがたちこめてきたた矢先、急に場面は変わりケイティが大人(アマンダ)になっていて、愛もない行きずりの男と公衆トイレでバコバコやっているシーンになるんです。あの可愛かったケイティに何があったのか・・・。まあパパが死んじゃったんだろうなとは予想できるんだけど・・・本当にそうなのか、何があったのか。という事が以降は幼い頃と大人のシーンを交互に入り交えながら描かれていく・・そんな話です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果から言いますとなんかオシイ・・なにが悪いんだろう・・そんな感想です。結局は幼くして両親を失った女の子の心の隙間を描いた作品で、僕好みの話なんですけど・・・。もうすこし王道的に素直に描いたほうが、こういう話は心に響くような気がしました。ケイティの心の隙間や寂しさ。愛する人がみんな亡くなってしまうという恐怖。わかるんですけど・・演出や構成をひねりすぎていま一つ感情が真に迫ってこない・・気持ち悪いもどかしさが残りました。

「風の王国」 五木寛之

みなさんも「人生観を変えたこの一冊」というのがあると思いますが
僕にとってはこの作品がそれです。
最初に読んだのは約20年ぐらい前です。
定期的に読み返したくなり、今回で5回目ぐらいでしょうか
表紙はぼろぼろです。

フリーのライター速水卓が、仕事の取材で京都の二上山に行くところから始まります。
まずこの速水がおもしろい人物なんです。
若いころ世界放浪の旅をし「歩くこと」におぼえがあり、電車のむかいに座る人の足を見て「こやつ、歩けるな」と思ったりするんです。

彼の職場の流星書館の雑誌「季刊TEKU TEKU」の編集長、島村杏子との交流シーンは素敵でした。
島村杏子も北海道から九州までの徒歩旅行を2度達成している歩きのつわもの。
四駆やバイクによる自然破壊を批判し、
「人間は自然を傷つけた量だけ自らも傷つく」という持論をもち
「人は自然の中で優しくあるだけでなく、街においても、人々の中においてもローインパクトに心しなければならない」との考えの持ち主。
二人は「歩くこと」を一つの生き方の問題として追求してるんです。

余談ですが。
初読当時、僕の興味は車やバイクにあり、歩く事など何の興味もなかったのですが、この書を読んだのを機に、ウォーキングやハイキングに興味を持ち始めるようになりました。

そんな速水は二上山の山頂で風のように駆け抜ける謎の女に遭遇。
その女はお遍路のような格好をし、しかしお遍路とはどこか違う黒い衣装の背中に○神の文字が染め抜かた法被を纏い、霧の中をまるで翔ぶように速水の前を駆け抜けていきます。歩くことには自信を持っている速水が必死になって追いかけても追いつけないんです。
すっかりそのことに打ちのめされ、虜われ、彼女との再会を熱望するようになるんですが。
それは意外にあっさり叶うのです。
流星書館の親会社である射狩野総業の創立記念パーティーに出席した速水は、祝辞のために壇上に立つ「翔ぶ女」を見ます。
「翔ぶ女」は「天武仁神講」「同行五十五人」という字の染めてある法被をはおり
「天武仁神講の講主代行」として挨拶を始めるのですが、それは射狩野総業が近年、事業拡大し、自然破壊をし、開発を押し進める事に対しての痛烈な批判でした。
女の名は葛城哀。天武仁神講の2代目講主、葛城天浪の娘。
射狩野総業オーナーの射狩野瞑道も天武仁神講に席を置き、かつては天浪と2代目講主の座を争った人。「へんろう会」という分家のような団体の会長でもあり、「へんろう会」は政財界から裏社会までに会員を広げ、財力を蓄え「講」にも財政面で貢献してきた。だが、その行為が度を超え、自然破壊をつづけるのは初代講主葛城遍浪の教えに背くことであり、本末転倒だという批判でした。
 一方。その会場で、速水の兄、速水真一の彼女である歌手の麻木サエラが余興で歌を披露する事になっていたのですが、「歌いたくない」とぐずっていると、マネージャーの瀬田から応援要請があり、速水はサエラの控室に呼ばれます。
サエラはもともと自由に3曲歌うはずだったのが、列席した政治家とデュエットしてほしいという依頼が急遽入り、それを拒んでいるのです。
その話は渾流組の竜崎というヤクザが絡んでいて、控室に竜崎もやってきます。
絶対に歌いたくないと拒むサエラに竜崎は過去の事情を餌に脅し、さらには真一のもとに手下を送り、歌わなければ彼がどうなるか分からないと脅します。そんな竜崎に速水はタフガイさながら襲いかかり、急にハードボイルドアクション的な展開に。銃を抜いた竜崎の前に突然、葛城哀が立ちはだかり。哀は竜崎と竜崎の手下を真一のもとから引かせ、その場を収めるのです。
その後、哀は速水に東京から伊豆まで一緒に歩かないかと誘ってきます。哀は速水の名前も職業も知っていて、二上山ですれ違ったことも気づいていました。速水はなぜ哀が自分の事をそんなにも知っているのか、よく分かりません。何やらキナ臭い気配は感じつつも、あの「二上山の翔ぶ女」である哀と歩けることに舞い上がり二つ返事でOKします。
そこから哀と速水の伊豆への歩行シーンになるのですが、この歩いているだけのシーンがまたイイんです。
そのシーンのハイライト本文から抜粋します


「では、私が先に歩かせていただきます。同行でノルときには、二人が一人の心になって歩くわけですから、そのおつもりで」
「手加減しなくてもいいですよ。かなわない時には、遠慮なくギブアップしますから」
「これは行なんです。勝負ではありません」
「共にノルことで、一人の人間の力の二倍も三倍もの高い境地へ達することが出来なければ、同行の意味はないんです。私が速水さんをためすとすれば、それは人と共に助け合って歩く、自然と一体になって歩む、その心の広さや優しさを、あなたが待てるかどうか、それを知りたいだけです。速水さんが只のつよい体力と意思の持ち主に過ぎないとわかったら、わたしは同行をその時点でご辞退します。そして、あなたはわたしたちとハナれて、二度とお目にかかることは、ないでしょう」
中略

先行する葛城哀に、休ませてくれと一言いえば、彼女はもちろん足をとめてくれただろう。だが、それだけはどんなことがあってもしたくはなかった。ルト砂漠を歩き、シラーズの砂礫の荒野を歩き、ラリーカーが150キロですっ飛んで来るサファリラリーの道を歩き、ガンジスの源流を歩いた自分が、どうしてこんな遊園地のような島国の海岸でギブアップできるだろうか。
 だが、今度はこれまでのトレイルとはまるでスピードが違っていた。夜明け前に一度、公園の端で休んだだけで、あとはずっと歩き通しなのだ。しかも、彼女の歩速はおそらく分速160メートルを超えている。旧陸軍の約二倍の歩速だ。彼女の下半身は踊っているように奇妙な動きを続けていた。だが首から上は能役者のように静かに風の中をすべってゆく。速水卓は、すでに歩くのをやめて走っていた。心臓の鼓動も限界にちかく震えていた。
 だが、彼女は決して速水卓を無視して歩いてはいなかった。葛城哀の背中からは絶えず彼にはげましの無言の声が送られていた。
 がんばるのよ。さあ、いっしょにいきましょう、どこまでも。二人で手をとりあって
速水卓には、その声がはっきりと聞こえた。


この後、伊豆の「天武仁神講」の隠れ家に到着し。「天武仁神講」とは一体どんな組織なのか、講と速水の接点とは、「へんろう会」とは、のさまざまな疑問が明かされていきます。
この説明が中盤、かなり長く若干中だるみ感もありますが、5回読んでも、今だよく分からない点でもあり、奥深い点でもあります。今まで(4回読んだ時点)では感じなかった疑問が新たに芽生えたりして。五木さんが実は一番描きたい所でもあるような気がします。僕なりの解釈で簡単に説明すると。
明治維新後、住民登録制度ができた。が、それを拒み、無籍漂流の浪人たちがいた。ジプシーのような定住を好まない移動民族。彼らは「サンカ」や「ケンシ」と俗称されいわば山賊のような「野蛮で奇異な非国民」と、うとまれ迫害されてきた。彼らの理念は「相互扶助」。定住せず移動して暮らし、困っている人あらば助け合う。農耕定住民が肉や骨なら、彼らはいわば社会の血液になろうとした。ハンセン病患者などにも積極的にかかわっていたので余計に奇異な目で見られていた。ある時「ケンシ狩り」と呼ばれる、役人による「ケンシ」たちの大量虐殺事件があり、その事件を逃れた葛城遍浪と八家族55人が京都から伊豆に逃げ、結束を誓い合った。その秘密結社のような会が「天武仁神講」。そしてその経済基盤を支えるために組織されたのが「へんろう会」。

なにゆえ彼らは無籍にこだわったのか・・・分からない。戸籍を作ったって、別にそこで一生暮らさなきゃいけないわけじゃないし。今だって、マイホーム派か賃貸派か、みたいに一ヵ所に留まりたがらない人もいるだろうけど、戸籍は別に関係ないし・・。「ケンシ」たちも戸籍を作っておけば、そこまで迫害されることもなかったろうに・・・疑問が残る。

中盤を過ぎ後半は、射狩野瞑道との対立が血生臭い様相を呈してきて、エンターテーメントとしても盛り上がってきます。
そんな状況での、この作品で最もきらめく僕の「人生観を変えた一文」を本文から紹介して〆させていただきます。

「世界の多くの人々の思想は、勝つか、負けるか。だが、わたしはそのどちらも好かん」
速水卓は遠慮がちに天浪にたずねた。
「でも、もし、勝つか、負けるかの、二つのどちらかの道しかないような時には・・」
「道は必ずあるものだ」
天浪は微笑して速水卓を見つめた
「人に知られぬ意外な道が現在この国にも数多くあることを、あんたは今度の大疾歩で知っただろうが」
「はい」
速水卓はうなずいた。その通りだった。隠された道は、必ずある。それは見えないだけなのだ。しかし、それでもなお、二者択一を迫られる状況というのも、またあるのではないだろうか。速水卓のそんな心の中を感じたように、講主は言葉をつづけた。
「もし、どちらかを選ばなければならない時がきたなら・・」
天浪は言葉を切って葛城哀を眺めた。
「どうするかな、哀」
哀は眉ひとつ動かさず、しずかな口調で言った。
「負けます」


この葛城哀の「負けます」
しびれました。

葛城哀語録
「わたしたちは一所不在のケンシなんだわ。取ることでなく、捨てる事を知っているすばらしい一族よ。土地を捨てる。家を捨てる。安住を捨てる。いつもそうして体一つで流れて生きてきた。私たちは風よ。風は軽くなくっちゃいけないわ・・」 

北の国から  国内ドラマ

夏にBSフジで再放送されていたの録画して見まして。もう4回目ぐらいでしょうかこのドラマ、生涯で1番好きなドラマです。海外、韓国、日本、新旧問わずナンバーワンドラマです。大自然の中で、今では考えられない予算と情熱を注がれて作られた、という意味においても今後もおそらくこの作品を越えるドラマは出てこないでしょう。しかし、そんな話を妻にしても「私、これ暗くてあまり好きじゃない」「貧乏人の悲しみを描いているのが、見ててつらくなる」と一蹴。つくづく人の好みというものはそれぞれだなあと思い知らされました。僕はそんな捉え方をしたことはなくむしろ「確かに貧乏な親子が主人公だけど、貧乏の悲しみではなく、それは悲しいシーンもたくさんでてきますけど、そんな中で、お金はなくとも、お金には変えられない心の豊かさとか、派手に成功しても力を誇示するような人の下品さにたいして、質素に素朴に生きる人の素敵さ」を描いていると僕は受け取っていたから。それは23話の名シーンに集約されていると思います。純たちの母さん(いしだあゆみ)が亡くなり、五郎(田中邦衛)が遅れてやってきて早く帰った事に、親戚らは薄情過ぎると非難。そこでの清吉(大滝秀治)の言葉「あいつが来れなかったのは・・金なんですよ」「あの晩、あいつワシんとこ借りに来て、はずかしいがワシんとこもどうにもなくて、近所の農家起こして、なんとかやっと工面して、純と蛍と、雪子さん、飛行機乗せたんですよ」「翌日の昼、中畑ちゅうあれの友だちが、それを聞いてびっくりして銀行に走って、でもあいつそれを受け取るのしぶって」「だからあのバカ、汽車できたんですよ。一昼夜かかって汽車できたんですよ」「飛行機と汽車の値段のちがい、わかりますかあなた。1万とちょっとでしょう。でもね、わしらその1万とちょっと、稼ぐ苦しさ考えちゃうですよ。何日土に這いつくばるかってね」「おかしいですか、私の話」親戚ら、返す言葉もなし。このシーン。「貧乏人って悲しい」と受け取るか「貧乏人でも五郎さん素敵」と受け取るか皆さんはどうです?僕は後者で、このシーン、何度見ても号泣です。この清吉の話を聞いていた純と蛍は、この後前日、吉野さん(伊丹十三)に新しい靴を買ってもらい、古い靴を捨てたのが、どうしても気になって、靴屋に捨てた古い靴を拾いに行くわけです。その靴は1年前、北海道で五郎に買ってもらった靴。もともと980円の安物。雨の日も、風の日も、純と蛍と共に、彼らの足を守り、泥だらけになり、穴があいていた靴。そんな靴が、純と蛍はとても愛しく思われ、あっさり捨てた事を後悔し、夜な夜なゴミ捨て場を漁るんです。結局見つからないのですが。このシーンにまさに「北の国から」という作品で倉本聡が言いたいことが集約されていると思います。

楽園のカンバス 原田マハ

ニューヨーク近代美術館のキュレーター補佐、ティム・ブラウンはスイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのはルソーの名画「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋鑑定した者にこの絵を譲ると告げる。ただしX線調査などはせず、ある古書を読むことによって判断せよというものだった。7章からなる古書を1日1章づつ読み7日目に講評をして決めると。ライバルは日本人研究者、早川織絵。 ジャンルで言えばミステリー小説ということになるのでしょうか美術ミステリー。ある1枚の絵についての真贋の謎を解く話ですからその絵の持ち主の富豪は都市伝説的謎のベールに包まれた名画コレクターだったり、その絵を手に入れようとつけ狙う謎の勢力が接触してきたり、殺人事件こそ起きないけれど、スリリングな極上ミステリーと言えるでしょう。殺人事件が起きないという事がまず僕にとっては大きな価値ある作品です。僕は殺人事件ミステリーが極端に嫌いです。本に限らず、映画、ドラマのジャンルにおいても殺人事件ミステリーは生まれてからこれまでまともに見たことがないといっても、過言ではありません。これはもう生まれつきの体質といっていいでしょう。後付け的に理由を考えるなら謎解きゲームのために人を殺すのが(作家目線で考えて)とても不謹慎な気がするからですましてや女子大生が温泉につかりながら楽しげに殺人事件を推理する話なんて聞いただけで受け付けません。 そういう観点から本作は殺人事件のない数少ない気品に満ちたミステリー小説だと思います。恋愛ドラマとしても、とても気品にみちていますルソーという画家の極めて限定的な専門研究者であるティムと織絵。途中の見解を話し合いたいのは山々しかし大っぴらに手の内を明かすわけにはいかない立場は真贋鑑定のライバルですから。スイス、バーゼルの夜の街並みを散歩したり動物園で気晴らししたりしながら、ぽつぽつと話し合う中で研究者として、人として通じるものがある。直接的な恋愛的行動はありませんがそれが余計にエロティックでもあり大人の静かな恋愛が素敵に描かれていると思います。こういう感じとても好きです。また古書に描かれている話はルソーと「夢」に描かれている裸婦のモデルであるヤドヴィガの話。はじめは「謎の古書」と言う割には子供の絵本のような語りくちに?と違和感を感じましたがこちらもパリの下町を舞台に人妻ヤドヴィガと老人ルソーの微妙な関係がまさに「夢」のごとく叙情感たっぷりに描かれ、後半はその絵本的で稚拙な物語にすっかり引き込まれ最後は胸を打たれました。というわけで私的評価 星3.5点(5点満点)人それぞれ本に求めるものは違うと思いますが僕はテーマ性というか新しい価値観、人生観を揺るがす何かを求めるところがありその点はあまり感じるものがなく、若干物足りないところでした。殺人事件ミステリー好きの方々へ気を悪くされたら申し訳ありませんでした好みは人それぞれということ重々承知の上でせっかくこういうグループなので好みを語らせていただきました。昨今のエンターテーメント業界、殺人ミステリーの席巻が目立つことにアンチ派としてちょっと物申したい気持ちもあって・・まあ、弱小派閥の負け犬の遠吠えと思ってください。

スリーキングス

ジョージクルーニー マークウォルバーグ小説「土漠の花」月村了衛を読んでふと思い出しもう10年以上前(1999年米公開で見たのが2001年)の映画ですが僕の生涯ベスト10映画に入るかもしれない傑作です。当時ジョージクルーニーが売れ始めた頃、日本では同時期に「パーフェクトストーム」も上映されていて興行的には「パーフェクト」のほうが良かったようですが僕は両方見ましたけど断然「スリーキングス」のほうがよかったです。湾岸戦争終結直後のイラクを舞台に不良米兵4人が私欲のため米軍の旗をふりかざし職権乱用し金塊強奪を計画。あっさり強奪に成功し帰りに通りかかった現地の村である民間人女性がイラク軍によって処刑される場面に遭遇。一度は無視して通り過ぎようとするのですが、葛藤の末イラク軍を攻撃しその他の村民を助ける。しかし、一応米軍の旗に遠慮していたイラク軍も米軍からの攻撃で枷も外れ一気に乱激戦に突入し・・・。この場面前半の重要なポイントです。今回このレビューを書くにあたりネット上の他の人のレビューをいくつか見たのですがけっこう賛否分かれていて否定派の意見としては「泥棒が急に正義感ふりかざし村民を助けたことが解せない」ハリウッド戦争映画にありがちな「アメリカの自己中的軍事介入賛美もの」というのが多いようでしたが何も考えずにあっさりと攻撃したなら(米兵がイラク軍を)否定派の方々のご意見はもっともだと思いますが、葛藤の末攻撃したという葛藤をしっかり描いているところがイイんです。イラク軍の非人道な行為を見て米兵たちは一度無視して通り過ぎようとしたのですが、とどまり、イラク軍に銃口を向けます米兵4人の指揮官はゲイツ少佐(クルーニー)イラク軍も米兵に銃口を向け緊張状態で向かい合います人数、火力ともにイラク軍が圧倒的、米兵は非公式にコソ泥してる4人組せっかくあっさり強奪できた金塊余計なことに首を突っ込めば台無しになりかねない何より戦争は終っている。ここで攻撃すれば「内政干渉。軍事協定違反」つまりここで村民を助けても何の正義もないそれどころか国際的な大問題になるということをゲイツも他の部下3名も重々理解しているイラク軍指揮官も分かっている簡単に米軍は攻撃できない、仮にしてきても火力はイラク軍圧倒的有利撃ってきたら撃ってきたで、即、ハチの巣にしてやると、ゲイツの決断をおもしろがって見守っている「米軍はお呼びじゃない、金塊はくれてやるからさっさと立ち去れ」ゲイツはギリギリまで悩んだあげく発砲を指示。この時のゲイツの心境はきっとこうだったのだと解釈してるのです「このまま見て見ぬふりして帰れば計画は完璧に成功。余生は悠々自適に暮らせる。が、しかし、見殺しにした村民たちが脳裏に焼きつき二度と心から笑えなくなるだろう。だから、ここはやはり撃つべし。軍法会議クソくらえ」つまり自分のために撃ったので正義感を振りかざしたのではないのだと思います。そこから一気に乱激戦に突入。火力で圧倒された米兵たちは、車両、武器を失い、命からがら、民間人たちの地下隠れ家に逃げ伸びるしかし、仲間のトロイ(ウォルバーグ)がイラク軍に捕まるさらに民間人たちは実は反政府組織だった。先程殺された女性は組織のリーダー、アミールの妻だった。ますます米兵の行動に正義は無くなる金塊は残ったが運ぶ足もない、トロイ救出もしなければならない。事態は一転、最悪に。そこでアミールからの提案がある金塊の運搬とトロイ救出に反政府組織のメンバーが協力する代わりにクウェートに亡命するため国境まで米軍の旗を盾に護衛してほしいそんな提案のめるわけがないそれこそ「内政干渉・軍事協定違反」だここでも悩み、葛藤が描かれた末その提案をしぶしぶ飲む以降はトロイの救出劇、亡命包助劇となるわけですがアミール側からしても米軍は敵のようなもの。妻は結局殺されたし。フセイン政権下のイラク国内はますます混乱している米軍の軍事介入と中途半端な撤退が原因結局クウエートの石油利権の安定確保だけが目的だったのではと思っているそんな訳で二人は、自分たちの利害のためお互いにしぶしぶ手を組みます最初は対立し合っていた二人がともに戦っていくうちに少しづつ心を通わせていきます。下世話に言えば男の友情を描いた、王道アクションエンターテーメントとして単純にみてもしっかり面白くできていてラストシーンのクルーニーの目の演技にはグッときましたまた、背後にしっかり社会性もあり湾岸戦争についても賛美というよりはむしろ批判、風刺の目線をストーリーのスピード感を失わないようにうまく織り込みしっかりと描いているところがすばらしかったです。(実際、この映画監督は湾岸戦争の反戦ドキュメンタリーも撮っていてそれが米国内で発売禁止になったとか上映禁止になったとか・・)余談です再三「内政干渉」という言葉が出てくるのですがこの映画を見る以前、20代の僕はフセ○ンや北朝鮮の○○○のような明らかな悪人をなぜのうのうと生かしているのかとっとと○○してしまえぐらいに思っていましたがやはりそれは間違った考えなんだとこの映画を見て思い直す事になるわけですそういう意味においては人生観を変えた作品ということになります日本の歴史で例えるなら秀吉がキリシタンの弾圧をかなり非人道に行ったようですがこの時、アメリカ軍が介入して秀吉政権を倒したとしたらそれは明らかな侵略行為ですまた、その後の日本の歴史はどうなっていたのか・・あまりいい例ではないですか・・浅間山荘にたまたま通りかかった米兵が民間人が政府に弾圧されていると勘違いし連合赤軍に加担し日本の警官を撃ち殺したらこれもあまりいい例ではないか・・要するに「内政干渉」=「侵略」とも言い換えられるので世界には先進国・途上国があります国家の精神レベルが日本の江戸時代のような国もまだまだ沢山あるようですそれらの国に、先進国の理屈を急に押しつけてもうまくいくものでもなくどんな先進国もかつては通ってきた道で(戦国時代みたいな時代・戦前の日本のような)それは自分たちで成長していくのを見守るほかない他国が軍事的に介入することはしてはならないと思うようになったのでした

土漠の花 月村了衛

ソマリアで後方支援活動をしていた自衛隊が現地人女性を保護したことで地元の民族間紛争に巻き込まれ壮絶な死闘をくりひろげる話です。冒頭から問答無用の攻撃を受け車両も武器も失いまさに息つく間もなく、考える暇もなく、執拗に追いたてられ敵から武器を奪い、車両を奪い応戦しながら、基地までの70キロを逃げる自衛隊と現地女性の話です。評判どうりのスピード感で、一気読みしました。そこそ楽しめましたがしかし、僕には引っかかる点も多く、今一つ心に響くものがなかったという印象です。引っかかる点とは冒頭、問答無用の奇襲攻撃を受けいきなり何人かの隊員が命を落とします。奇襲を生き残った者も皆捕まりまさに皆殺しにされそうになった時立ち小便で離れた場所にいた隊員が敵兵を撃ちます。これによって7人が逃げ伸びます。最初に敵兵を殺した隊員は自衛隊員である自分が人を殺したと少し悩みます。しかし、お前が撃たなければ俺たちはみんな死んでいた自分たちの命を守るためには相手を殺してもやむおえない彼の攻撃は正しかったと、他の隊員の意見はあっさりまとまり、後はほとんどそのことについて葛藤も描かれず以降は無遠慮な殺し合いをくりひろげる事となるわけです。周辺事態法に伴う戦争開始のいちメカニズムとして、アンチテーゼとしてあえてそう描いているのかもしれませんが現行の憲法九条にある戦争放棄とは「やられてもやり返さない事」と僕は解釈していますが少なくとも「専守防衛」の基本理念は今も自衛隊に根付いていると信じたいしその葛藤はもう少し描いてほしかったのです。一人狙撃の名手だった(平時の狙撃訓練の成績で)隊員がいるのですが、この隊員だけ、どうしても敵を撃てないんです。彼には娘がいて、「血に染まった手で娘を抱けないから撃てない」といいます。唯一まともな事を言っていると思ったのですが他の隊員たちは一切とりあわずこの人が撃てない事で仲間が死に撃てないことが精神異常(つかえないやつ)とされるんです。後半は立ち直り狙撃手としてバタバタ敵を殺し始めると「成長」したと描かれるのですが・・。追手の武装勢力があまりにも完全悪に描かれているのも引っかかります。実際、のモデルとなっている勢力があるのでしょう。取材をしてそう描いているのでしょうしから、素人の僕が簡単に批判できることではありませんが、どんな悪のテロ組織でも兵隊の一人一人には家族もいるでしょうし悪なりの主義思想や目的はあるのでしょう目の前の生物は無条件に皆殺しにするゾンビのような描かれ方をしているのは引っかかります。自衛隊の後半の無遠慮な殺戮を正当化するためにそうしているように感じもはや「処理」とかいいはじめ、数だけで言えば自衛隊のほうが圧倒的に殺しているのも気になります気持ちを切り替えスタローン映画さながらのアクションエンターテーメントと割りきって読もうとしても、いちいち隊員たちの過去の身の上話が織り込まれる感じが今度はどうもクールじゃないし主人公の友永が内なる弱さと葛藤している感じはエヴァンゲリオンのシンジを思い出し僕はシンジ大嫌いなんで引っかかります。シンジは子供だからまだしも、いい大人のこういう感じはイライラします。これは完全に好みですが・・・。ラストの重要なオチのネタばれになるので細かく書けませんが読んだ人ならわかるんじゃないでしょうかこれ基地に帰った友永が上官に「ある事」を言われ納得できないと食ってかかるんですが「友永さん、何言ってるんですか。そんなの当然ですよ」と心の中でツッコミいれました。机上で平和主義を唱えるのは簡単です実際、緊張地帯に派兵される自衛隊を批判する気はさらさらありません周辺事態法も今の国際情勢を考えれば、まあ賛成ですこの作品のようなことが実際に起きても何ら不思議ではないですしもうすでに起きているかもしれません(隠ぺいされて)これが実話だとしても、作中の彼ら自衛隊の行動を批判する気はありません僕があの隊の中にいたとしたら津久田隊員のように撃てない、撃たないでいたいです。それで仲間が死んだとしても撃たなければ自分が死ぬとしても本当にそういう行動が出来るかは分かりません実際は小便もらしながら銃乱射したあげく殺されるのがオチかもしれませんがそれでも、平時に、机上でもそういう理想を持っていなければ絶対にできないわけですから。仕方ないにせよもう少し殺さない方法を模索したり葛藤したりしてほしかったのですそんなわけで評価星2点(5点満点)とにかく怒涛の展開でそこそこに楽しめましたが戦争をあつかった話としてはいささか短絡的でエンターテーメントにしては浪花節すぎ余談ですが映画「スリーキングス」主演 ジョージクルーニーを思い出しました湾岸戦争終結直後のイラクを舞台に不良米兵が私欲のために米軍の旗をふりかざし金塊を強奪する話です。帰りに現地の村である母子が武装勢力に処刑されている場面に遭遇。一度は無視して通り過ぎようとするのですが、葛藤の末、武装勢力を攻撃。以降この本と同じように現地武装勢力との戦闘に巻き込まれていく話ですがこちらのほうがエンターテーメントとしても面白いし民族間の紛争に介入していいのかと常に葛藤しながら行動する感じが政治的、社会的な作品としても深みもありました。目の前に明らかな悪が存在してもこれに他国軍が制裁は出来ない。ましてや現場の1兵士の善悪の判断でしてはならない。というのが常にテーマとしてあったのにアメリカの不良兵士の話でさえ・・・。